女性の再就職支援を行なうNPO法人、NOW for Empowermentの新着情報です

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~連続インタビュー~私のキャリアヒストリー(第二回 井内千穂さん③)

井内さんへのロングインタビューの掲載も今回で最終回となりました。
パートタイムから正社員へ、そして現在に至るまでのお仕事のこと、今後の働き方について考えていらっしゃること、皆さんに伝えたいことなどをお聞きしました。

~正社員になるまでの道のりは?~
 アルバイトの頃は学芸部に所属しており、展覧会やコンサート等の開催情報のリスト作成や、それらに関する100ワード程度の記事を担当していました。そしてちょうどその頃、学芸部でクラッシック関係の記事を書ける人を探していたので、クラッシックが好きな私は勇気を出してやってみたいと手を上げ、初めて署名入りの大きな記事を書かせてもらうことになりました。アルバイトで入ったときはまさか正社員になれるとは思ってもいませんでしたが、そうやってルーティンの仕事以外でも積極的に挑戦したのも正社員への道を開いた要因の一つかもしれません。4年間ほどアルバイトをやって、そろそろ次のステップを考えようと思っていた頃、突然正社員になりませんか?とお声がかかったので大変驚きました。

~正社員になってからはどのようなお仕事をされているのですか?また今後はどのように働いていきたいと思っていますか?~
 広告局で、世界中の国々が建国記念日に出す特集記事の担当をしています。例えばドイツ統一記念日に、ドイツ大使のメッセージ、ドイツと日本に関する記事、ドイツ統一に関する記事等を編集する仕事です。大使館の方々と記事の内容を調整することもあり、草の根の外交をさせていただいているようで、やりがいがあります。締め切りギリギリに原稿を送ってくるようなのんびりした国もあり、調整は結構大変ですが。その他に、求人広告のページで月に一回の“Global Career Path” というコラムに、グローバルな事業展開をしている会社や組織で活躍している人達へのインタビュー記事を連載しています。(こちらにリンクすると記事が読めます↓)
http://www.japantimes.co.jp/job-classifieds/global_career_path.html?date=20100908
今後のことは働きながら考えていきたいです。他の部に配属される可能性もありますし、今は会社で得られることをすべて吸収したいと思っています。また、大使館関係や取材先などでの出会いを大切にしたいと思っています。

~充実したお仕事ぶりで羨ましいです!ところで、そんな忙しい井内さんを支えていらっしゃるパートナーのお話を~
 夫は積極的に家事などをしてくれるタイプではありませんが、自分の海外転勤で私が退職せざるをえなくなったことを、すまないと思っていたようで、そのためボランティアで私がしている活動等はいつも応援してくれていました。仕事を始めてからは、私があまり愚痴っぽくなくなり前向きになったことを喜んでいるようですが、だんだん仕事が忙しくなって夜なべで原稿を書いていたりすると「身体壊すなよ」と心配しています。

~昨今はイクメンが注目されるなど、井内さんが出産された頃とは子育て事情も様変わりしていますが、どのように感じていらっしゃいますか?~
 男性も育児休業を取って子育てに参加することは素晴らしいと思いますが、いずれにしても育児は1年や2年の休職期間で済む話ではないので、私は女性も男性もが半日勤務や在宅勤務などフレキシブルに働き続けられる社会、一旦退職しても再就職しやすい社会になるといいのではと思います。

~最後にこれから再就職を目指している皆さんへメッセージを~
 私にできるかな、と心配せずにとにかくチャレンジして欲しい。チャンスが来た時は逃さずチャレンジ。いつでもチャンスに応じる心構えがあれば、チャンスに気がつくようになります。
 自分が求めていることを発信していれば、そのための情報が自分のアンテナにひっかかるようになりますし、情報を提供してくれる人との「偶然とは思えない不思議な出会い」のようなことも起こる気がします。 英語を使う仕事をしていると、日本語力の重要さを感じます。取材や編集をする際の切り口のアイディアは海外経験、子育て経験などが生きているので、年齢も逆に強みになることがあると思います。

~ありがとうございました~

インタビューを終えて、井内さんは「これだ!」思ったらとことんやりぬく物凄い精神力と集中力があるかただと思いました。 3回連続のロングインタビューの中に再就職で理想とするお仕事に近づく色々なヒントがあったと思います。是非参考にしてください!
インタビュアー:合田聡子

~連続インタビュー~私のキャリアヒストリー(第二回 井内千穂さん②)

私のキャリアヒストリー井内さん第2部

第1部では、新卒で就職されてから結婚、出産、退職、そして専業主婦時代のお話をうかがいました。第2部はいよいよ再就職へ!そして支えてくれたご家族のお話です。

(品川区の再就職セミナーに参加した井内さん。セミナー終了後に講師を囲むランチ会に参加されて…)
~講師の先生とのランチ会で何が!?~
 先生の真ん前の席が空いていたんです。私は思い切ってそこに座り、ここでもまた自分の愚痴を。「私の妹はキャリアウーマンでバリバリ働いていて、子育ては母に任せきり。私といえば専業主婦でずっと一人で頑張って子育てしてきた。私だって頑張ってきたのに…専業主婦って報われない、バカにされているようで悔しい。」と。
 すると先生は「それで?あなたはどうしたいわけ?妹さんに仕事を辞めさせたいの?それとも、お母さんが妹さんを手伝うのを止めさせたいのかしら?」とクールに切り返し、さらに「あのね、過去と他人は変えられない。変えられるのは自分だけですよ。」とピシリと言いました。
 ものすごくショックで悔しかったです。「先生の主催するスクールのライターコースに通って今の自分の現状をどうしても変えたい、先生を見返したい」という強い思いに火がつきました。
~それはさぞかしモチベーションがアップしたでしょうね~
 はい。そのライタースクールの授業料が年間30万円くらいで、今まではそういう習い事のお金は全て夫頼みでしたが、今回だけはどうしても自分の稼いだお金で通いたいと思い、その時点で7月、スクールが翌年の4月開校だったので、この8ヶ月で稼ごうと。なんとか仕事を探したい、それも今後の仕事につながるような仕事を、と思い、なりふり構わず21世紀職業財団の再就職カウンセリングに行きました。キャリアの棚卸しをして「自分がやってきたこと。自分にできること」を洗い出し、履歴書・職務経歴書の書き方の指導も受けました。「一番良くないのはキャリアに空白があること」と言われ、今まで活動してきた広報誌の作成や英語のボランティア等も盛り込みました。また、その年の初めに取っていたパソコンの資格以外に、急きょ猛勉強して英検の準1級を取り、それも履歴書に書けるようにしました。
 本気で仕事を探す気になると、小さなプライドを捨てて、今までとは違った「仕事を探している、と周りのママ友達に公言できる自分」になっていました。それが次のステップへの歯車を回した感があります。

~ジャパンタイムズに就職されたきっかけは?~
一緒に小学校で英語のボランティアをやっていたママ友が「こんなアルバイトの募集があったよ。」と、ジャパンタイムズの求人広告の切抜きを持ってきてくれたんです。私自身はどこに応募しようか模索中だったのですが直感で「これだ!」って思いました。締め切り直前だったのですが、すぐに履歴書と職務経歴書を書き、郵送だと間に合わないので、会社まで自分で持参しました。履歴書には新卒時の仕事のほか、品川区の広報誌の編集委員や小学校の英語のボランティア活動等も盛り込み、職務経歴書には「ぜひ働きたい」という気持ちを書きました。
面接では外国人3人日本人3人に囲まれ、英語での自己紹介などをしました。“とにかく何かしゃべらなくちゃ”と必死でした。「最近のカルチャー・イベントで心に残ったことは?」と聞かれ、そんなこと聞かれても子育てに追われる毎日の中で適当なものが思い浮かばず「(英語で)えっと、小学校の学芸会です、でもドイツにいた頃はコンサートにもよく行っていました。」と、苦し紛れに答えたのを覚えています。「あなたはこれから5年間でどのようなことを達成したいですか?」という質問もありました。これには「英語でも日本語でも書けるようなライターになりたいです。」と答えました。
そしてなんとその日の夜採用の連絡が来たのです。「やった!これでライタースクールの授業料が払える!」と思いました。
そしてその後約3年間、ライタースクールとジャパンタイムズ、二束のわらじの日々が続きました。仕事は週3日、11時から7時まで。その頃子ども達は中2、小5、小3でした。

~お仕事を始めるにはちょうど良いタイミングだったのでは?~
 はい、今思えばベストタイミングでした。中学生の長男は部活や塾通いで忙しくてあてにならなかったけれど、小学生が二人いたので、学校から帰ったあとは二人で留守番ができて安心でした。「ばんごはんノート」を作って、私が出勤前に作っておいたものを先に食べておけるように書いておきました。食事の配膳はもちろん、サラダを作る、味噌汁の味噌を溶く、など簡単なことは頼めるようになりました。電子レンジの使い方も教えました。次男が中学校に入ってからは三男が小学校から帰ってひとりぼっちだったので(最近の小学生は塾通いで遊べる子も少ないですし)、ちょっと心配でしたが三男が中学校に入って部活動等を始めてホッとしました。振り返ってみると、男の子三人、再就職するまでは本当に大変な子育てでしたが、ある程度成長してから仕事を再開して家を空けるようになってからは、三人兄弟がいて良かったと思いました。

~理想のご家族のように見えますね。~
 いえいえ、そうは言ってもやはり、私が働き始めてから子ども達や夫が協力する体制が整うには時間がかかりました。家族は当初、私が働いていることについて「好きで働いているんでしょ」とか「働くのは趣味で、内容的にもお金的にも大したことではない」などと思っていたようで、そんな雰囲気に私は一人で怒っていたこともありました。そして、そんな思いが募ったある日、忘れもしない“母の日事件”が起きました。
 
~“母の日事件”?!何ですか、それ?~
それは働き始めて2年目の母の日でした。母の日なんて、小学校低学年までは幼稚園や学校がそれらしいプレゼントを企画してくれたりするんですが、そんな時代が終わって久しく、我が家では誰も意識することなく過ごしていました。当時、働き始めてしばらく経ち、私としてはいわゆる仕事と家庭の両立のためにかなり無理をしていたんでしょうね。できるだけ母の務めを果たそうとするわけですが、朝から長男のお弁当を作り、夕食の支度をしてノートに息子達への伝言を書いてから出勤し、頭の中では絶えず一週間分の献立や買物リストがぐるぐる回っているような生活はなかなか疲れます。なので、母の日ぐらいはそういう負担から解放されるとか、せめて「いつもありがとう」って言ってくれるとか、なんだか淡い期待をしてしまったんですね。でも、家族はその日曜日が母の日だということにすら気づいていなかったんです。たまたま出かける用事もあったのですが、帰ってきたらいつも通りの我が家でキッチンに立ち、大急ぎで夕飯の支度をしていたら、なんだか涙が溢れてきて止まらなくなり、食事の最中に感情が爆発してしまいました。家族から見れば、突然のことに「お母さんなんで怒ってるの?」という感じでしたが、大声で泣き叫んで家から飛び出したりした私に、さすがにこれはまずいと思ったのか、夫は息子達3人を並べて座らせ、「家族会議を開こう」と提案しました。そして、次の週に家事の分担表というものを作ったのです。
 分担のルールは、平日の皿洗いは子ども達で順番、週末は夫。洗濯は部活でたくさん汚した子がその日の夜皆の分もまとめて洗う。我が家は一日に3回ぐらい洗濯機を回さなければならないほど量が多いので、干すのは皿洗い当番以外の人全員でやります。ゴミ捨ては夫と私が中心。買い物は私。でも簡単なおつかいは時々子ども達に。
 家事は一人でやるとイヤになりますが、皆でやるとそれほど大変でもなく、子ども達も慣れればできるようになりました。
~ご主人が家族会議を提案してくれたところが素晴らしいですね!~
-続く-

~連続インタビュー~私のキャリアヒストリー(第二回 井内千穂さん①)

今回は3人の男の子さんを育てながら40代で再就職し、現在はジャパンタイムズの編集企画部に正社員としてお勤めの井内千穂さんにインタビューしました。

~まずは新卒で就職された時のことを~
はい。法学部を卒業して1年だけ司法試験受験のため大学に籍を置いていましたが、合格できる実感がなかったので就職活動を始め、政府系の金融機関に就職が決まりました。政策金融という分野が興味深かったこと、東京勤務であること(そのころ付き合っていた今の夫が東京で就職していたので)、等がそこに決めた理由でしょうか。

~金融機関のお仕事はどうでしたか?~
結構おもしろかったですよ。中小企業への融資やそのための審査調書を書く仕事を経験しました。中小企業の経営者と直接お話ししたり、不動産屋に突然入って担保物件の相場を聞いたり、業界団体に問い合わせに行ったりということも自分はわりと抵抗なくできるんだなと思いましたね。

~その頃から書くことがお好きだったのですね~
はい。財務諸表などの数字の分析は実は苦手だったのですが、いろいろな人にお会いしてお話を伺ったり、上司の指導を受けながら分析した結果を文章にまとめたりするのは、今思えば、得意でした。

~退職したきっかけは?~
総合職だったので、辞めずに働くつもりでした。就職して2年経ったころ結婚し、まもなく長男を出産しました。当時は育児休業法が成立する1年前だったので、産後2ヶ月で職場復帰しました。退職のきっかけは夫の海外赴任です。夫とも職場とも相談はしましたが、私の仕事のために海外赴任のチャンスをあきらめてほしくなかったですし、私が一人で乳児を抱えての単身赴任も難しいと思いましたし、職場は休職を認めなかったので、退職を選びました。自分にとっても海外生活はチャンスであり、「海外から戻ってきたらまた働こう」くらいに思っていました。
 ところが、東京に戻ってくる頃には次男がお腹にいて、戻ってきて一年で今度は地方に転勤、そこで三男を妊娠。再び東京に戻ってきた頃には既に5年の月日が流れていました。
 そして三男が幼稚園に入ってそろそろ働きたいと思い始めた頃、またドイツに海外赴任することになりました。

~その頃井内さんの年齢は?~
34歳。働きたいイメージはあったけれど、もっと本気で働きたいと思っていたなら子どもを産むタイミングを考えていたはずですし、転勤に際しても夫に単身赴任させるという選択もありえたでしょうが、「家族が一緒に暮らす、子どもを産んで自分で育てる」ということを選んでいたように思います。
 ただ、転勤族の専業主婦妻という立場であったその頃の私は、「世の中からも、周囲の地元のお母さんからも疎外されている…」と感じていました。幼稚園の保護者会活動で広報紙の作成委員をし、働きたい、というエネルギーをぶつけていました。その広報紙作成が今の私の原点だと思います。
 その後ドイツに渡ってからも子ども達が週に一度通っていた日本語補習校の新聞というのを作っていました。
 そして日本に戻ってからまたPTAの広報委員をやりました。日本に戻ってみると広報紙もパソコンで作る時代になっていたので、近所のパソコン教室でマイクロソフトの資格をとり、編集作業がひと通りできるようになりました。PTAの用事で学校にしょっちゅう出入りして先生たちとも顔見知りになってきたある日、先生に「小学校で英語の授業のサポートをして欲しい」と頼まれました。
 英語圏に住んだことがないのでできるかどうか心配でしたがALTと先生との打ち合わせの通訳、ALTの補助、それから英語の絵本の読み聞かせなど、小学校の先生方と相談しながら一生懸命やっていました。
 それと前後して一緒にPTA活動をしていた仲間のお母さんから「品川区の男女共同参画センターの機関紙で“編集ボランティア”を募集しているから応募してみたら?」と言われ、翌年度からはその活動を始めました。ここでは、「区の広報誌のため」ということでソニーやJTB等の大企業の次世代育成支援策を取材させていただくこともできました。

~ずいぶん色々な活動をされたようですが、全てボランティアで?~
 はい。本当は働きたかったのですが、実際にどう動けば良いのか分からず、また40歳を過ぎていまさら履歴書を書くことにも躊躇していました。
 そんな自分の「働きたい」という思いを品川区の機関紙の編集会議で話すと、働いている女性からは「働きたくなくても働かざるをえない人だっているのにあなたは贅沢だ。」といわれたりしましたが、「そんなに働きたいのなら区がやっている再就職セミナーに出てみたら?」といわれ、実はそれまではそういう再就職セミナーのようなものはちょっと抵抗があったのですが、「講師の人がとても面白い人だから」と勧められ、参加しました。
 その講師は“子育てをしながらコピーライターの勉強をして、40歳でコピーライターになり、現在はビジネススクールも経営している”という経歴の方でした。とても興味深い内容のセミナーが終わり、その後講師とのランチ会に参加、そこで私の運命を変える出来事が起こりました。
-続く-

インタビュアー:合田聡子

東京フォト2010

今年も東京フォト2010でNOW会員が通訳・受付スタッフとして活躍しました。
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~連続インタビュー~「私のキャリアヒストリー 星野めぐみさん(仮名)」

このコーナーでは結婚や子育て等によるキャリアの中断がありながらも再び仕事に就き、輝いている女性からお話を聞かせていただき、そのキャリアの歩みや人となりを皆さんにご紹介していきたいと思います。同じように再就職を目指している方々がこれを読んで励みや参考にしてくだされば幸いです。

さて、第一回目は約10年間の専業主婦時代を経て、40代で再就職し、現在は区立小学校の教諭をなさっている星野めぐみさん(仮名)にインタビューしました。

~まず、卒業されて初めて就職された時のお話を聞かせてください~
はい。大学院の修士課程を修了後、院の先生の紹介で特殊法人に就職しました。そのころはいわゆるバブルの時代でしたので、就職活動をすることもなくすんなりと決まりました。国家資格の試験問題を作成・実施する団体でした。私はそこで採点基準を決めたりするいわゆる専門職的な仕事をしていました。
また、兼業願いを出して別に短大で非常勤講師も行っていました。

~退職されたのはいつごろでしたか?~
29歳の時です。結婚相手の転勤が決まったので結婚退職しました。結婚後も働き続けることができる職場でしたが、仕事もルーティンで飽きていたし、どうしてもなりたくてなった職業ではなかったので。同じ大学院の女性ではキャリアを考えて結婚相手を選んでいた人ももちろんいましたが、私はそうではなかったのです。
夫の転勤先では、非常勤講師の仕事を月に何度かしていましたが、家事・育児が中心で、その後も何度か転勤があり、専業主婦時代に入りました。

~専業主婦時代は何か再就職に向けての準備はしていましたか?~
下の子が幼稚園に入って少し自分の時間ができたときに、まず添削の仕事を始めました。
それから、保育士の資格を取りました。理由は再就職に有利で子育て経験も活かせるだろうと思ったからです。保育士の資格を取ってから、小さいお子さんのいる母親等が受ける地方自治体等主催の講座で託児ボランティアをしました。

~その後再就職されて徐々にキャリアアップされた過程をお聞かせください~
外で働き始めたのは6回目の転勤で東京に戻ってきてからです。その時私は40代前半で下の子が小2でした。チラシを見て近所のベビーシッター会社の求人をみつけ、学生時代に取った教員免許、幼稚園教諭の資格と、専業主婦時代に取った保育士の資格が生かせると思い、また会社が近所だったのでシッターになるために必要な講習会も子ども達が学校に行っている間に受けることができる、という理由で登録しました。それから約2年間くらいベビーシッターを子供達が学校に行っている合間にやっていました。
それと平行してお友達の紹介でNHK学院の添削指導員もやっていました。
また、これらの仕事をやりながらハローワークに時々行って専門学校等の講師の職を探していましたが、講師の職にはなかなか就けませんでした。

~やはり、講師となるとちょっとハードルが高かったのですね。~
はい、でもそんな時、ハローワークで「ベビーシッター講座の講師」という求人をみつけました。その仕事は週に数回でしたが、「これをやれば「○年間講師経験あり」と履歴書に書ける!」と思い、応募し、採用されました。
そしてシッターの講師を始めて2年ほど経った頃に、都内のマンションを購入しました。これで夫の転勤についていく可能性がなくなり、また子ども達も成長して自由な時間が増えてきたので、ステップアップしたいと思い、今までの講師経験を生かして、幼児教室の講師の職をみつけました。
幼児教室の仕事は、楽しかったしキャリアアップにもなりましたが、勤務時間が夕方や土日中心で、さらに夏休みの夏期講習の仕事もあったので、自分の子ども達を家で留守番させて働くことになってしまい、そのことにストレスを感じ、もっと良い仕事がないか探していました。

~なるほど。それから学校の先生になるチャンスが訪れたのですか?~
はい。私は仕事をしながらPTAの役員も積極的に引き受けていたのですが、ある時PTAのお母さん達と再就職の話をしていて、「豊島区で区立小学校の講師として再就職をした人がいる」という情報をキャッチし、すぐに、自分の住んでいる区の教育委員会に電話したところ、即面接・採用になりました。
フルタイムで働くように勧められましたが、最初からそこまで自信がなかったので「学力教科講師」として1日2時間、毎日算数の授業の補佐をしました。毎日働くことは久しぶりだったので心配でしたが、やってみると平気で、むしろ自分の子供達が家にいる時間に自分も家にいることができるので、以前の職場より働きやすいと思いました。
やがて学力教科講師を始めて1年半ほど経ち、学校の仕事にも慣れ、自信がついてきた頃、家庭では下の子が私立中学に合格し、お受験もひと段落。フルタイムで働くことを決意し、産休・育休代替教諭として算数の専科教諭をすることになりました。それから1年後さらにステップアップし、担任を任されるようになりました。

~フルタイムで働くことになってきついとか、辞めたい等思ったことはありますか~
いいえ。フルタイムで働いてみて「なんだ、やれるんだ!」って思いました。
もしずっと専業主婦で家にいたとすれば、一日中誰とも話すこともなく、ほとんど歩くこともなく過ごす日だってあったでしょうし、そんな生活から比べると今はとても楽しくて充実しています。仕事はもちろん職場の人達とのコミュニケーションも楽しいですし、金銭的にも家計の助けになっています。夫の転勤、子育てがひと段落してからフルタイムで働けるようになって本当に良かったと思っています。

~パートナーの方は星野さんが働きに出られることに関してどのように思っていらっしゃいますか?~
 賛成してくれています。ただ、家事は専業主婦時代からずっと分担することはなく、私がやっています。夕飯の支度は、疲れたからといって一度座ってお茶等飲んでしまうと動けなくなってしまうので、帰ったら休まずに一気にやるようにしています。

~お嬢さんがいらっしゃるそうですが、ご自分の生き方をお嬢さんはどう感じていると思いますか?またお嬢さんにはどのようなキャリアを歩んで欲しいですか?~ 
娘は自分の家庭しか知らないので、これが普通だと思っているのではないでしょうか?ただ、娘には資格(私の場合は教員免許)のありがたさを話したりはしています。
 娘には仕事を続けて欲しい、娘が仕事を続けるために母親として支えてあげたいと思っていますが、本人は案外専業主婦志向かもしれません(笑)。

~最後にこれから再就職を目指す方々に向けてチャンスをつかむコツ等、アドバイスがありましたらお願いします!~ 
とりあえずチャレンジすることが大切だと思います。チャレンジすると「これは大丈夫。」「これはストレスになる。」等わかりますし、子ども達や夫の反応もわかります。どうせ、と言っては何ですが、再就職なのですから、誰に期待されているわけでもなし、ダメだったらまたやり直せばよし、自分にとって何が大切かを考えながらやっていけばよいのではと思います。
 それから、お母さん達と再就職の情報交換をすることはとても有意義なことだと思います。私もそれでチャンスを得ましたし、私からの情報で再就職された方々もいます!

~ありがとうございました~

《インタビューを終えて》
どんな環境でも前向きに、人とのつながりを大切にされてきた星野さん。履歴書に書くことを意識して再就職のステップを踏まれてきたことなど、とても参考になりました。お母さん同士の会話の中で再就職の話をして盛り上がることができるというのは、相手との距離があるとなかなかできないものなので、気軽にそういう話ができる気さくなお人柄もステップアップの秘訣かなと思いました。

インタビュアー:合田聡子

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