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女性の再就職支援を行なうNPO法人、NOW for Empowermentの新着情報です

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リカレント教育課程ホームカミング・デーが開催されました

 生涯学習センター主催、リカレント連携、大同生命保険株式会社寄付講座
「働く女性のための土曜講座」及び一般向け公開講演会の終了後の
11月 7 日(土)17 時半より、受講者と講師の参加する懇親会と同時開催で
リカレント教育課程ホームカミング・デーが開催されました。 

 日本女子大創立を支援された広岡浅子氏(「あさが来た」のヒロイン)が
大同生命の操業と事業の近代化を図られたご縁からだそうです。

 成澤泉役(大学創立者 成瀬仁蔵=号が泉山=がモデル)は映画・テレビ・
舞台で活躍中の瀬戸康史さんとの発表に、会場は盛り上がりました。
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「地価動向に関する国民の意識調査」について

2011年度の「地価動向に関する国民の意識調査」は都合により中止になりました。
次回またご協力をお願いいたします」

前監事 吉田春男氏の訃報について

前監事 吉田春男氏のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

~連続インタビュー~私のキャリアヒストリー(第二回 井内千穂さん③)

井内さんへのロングインタビューの掲載も今回で最終回となりました。
パートタイムから正社員へ、そして現在に至るまでのお仕事のこと、今後の働き方について考えていらっしゃること、皆さんに伝えたいことなどをお聞きしました。

~正社員になるまでの道のりは?~
 アルバイトの頃は学芸部に所属しており、展覧会やコンサート等の開催情報のリスト作成や、それらに関する100ワード程度の記事を担当していました。そしてちょうどその頃、学芸部でクラッシック関係の記事を書ける人を探していたので、クラッシックが好きな私は勇気を出してやってみたいと手を上げ、初めて署名入りの大きな記事を書かせてもらうことになりました。アルバイトで入ったときはまさか正社員になれるとは思ってもいませんでしたが、そうやってルーティンの仕事以外でも積極的に挑戦したのも正社員への道を開いた要因の一つかもしれません。4年間ほどアルバイトをやって、そろそろ次のステップを考えようと思っていた頃、突然正社員になりませんか?とお声がかかったので大変驚きました。

~正社員になってからはどのようなお仕事をされているのですか?また今後はどのように働いていきたいと思っていますか?~
 広告局で、世界中の国々が建国記念日に出す特集記事の担当をしています。例えばドイツ統一記念日に、ドイツ大使のメッセージ、ドイツと日本に関する記事、ドイツ統一に関する記事等を編集する仕事です。大使館の方々と記事の内容を調整することもあり、草の根の外交をさせていただいているようで、やりがいがあります。締め切りギリギリに原稿を送ってくるようなのんびりした国もあり、調整は結構大変ですが。その他に、求人広告のページで月に一回の“Global Career Path” というコラムに、グローバルな事業展開をしている会社や組織で活躍している人達へのインタビュー記事を連載しています。(こちらにリンクすると記事が読めます↓)
http://www.japantimes.co.jp/job-classifieds/global_career_path.html?date=20100908
今後のことは働きながら考えていきたいです。他の部に配属される可能性もありますし、今は会社で得られることをすべて吸収したいと思っています。また、大使館関係や取材先などでの出会いを大切にしたいと思っています。

~充実したお仕事ぶりで羨ましいです!ところで、そんな忙しい井内さんを支えていらっしゃるパートナーのお話を~
 夫は積極的に家事などをしてくれるタイプではありませんが、自分の海外転勤で私が退職せざるをえなくなったことを、すまないと思っていたようで、そのためボランティアで私がしている活動等はいつも応援してくれていました。仕事を始めてからは、私があまり愚痴っぽくなくなり前向きになったことを喜んでいるようですが、だんだん仕事が忙しくなって夜なべで原稿を書いていたりすると「身体壊すなよ」と心配しています。

~昨今はイクメンが注目されるなど、井内さんが出産された頃とは子育て事情も様変わりしていますが、どのように感じていらっしゃいますか?~
 男性も育児休業を取って子育てに参加することは素晴らしいと思いますが、いずれにしても育児は1年や2年の休職期間で済む話ではないので、私は女性も男性もが半日勤務や在宅勤務などフレキシブルに働き続けられる社会、一旦退職しても再就職しやすい社会になるといいのではと思います。

~最後にこれから再就職を目指している皆さんへメッセージを~
 私にできるかな、と心配せずにとにかくチャレンジして欲しい。チャンスが来た時は逃さずチャレンジ。いつでもチャンスに応じる心構えがあれば、チャンスに気がつくようになります。
 自分が求めていることを発信していれば、そのための情報が自分のアンテナにひっかかるようになりますし、情報を提供してくれる人との「偶然とは思えない不思議な出会い」のようなことも起こる気がします。 英語を使う仕事をしていると、日本語力の重要さを感じます。取材や編集をする際の切り口のアイディアは海外経験、子育て経験などが生きているので、年齢も逆に強みになることがあると思います。

~ありがとうございました~

インタビューを終えて、井内さんは「これだ!」思ったらとことんやりぬく物凄い精神力と集中力があるかただと思いました。 3回連続のロングインタビューの中に再就職で理想とするお仕事に近づく色々なヒントがあったと思います。是非参考にしてください!
インタビュアー:合田聡子

~連続インタビュー~私のキャリアヒストリー(第二回 井内千穂さん②)

私のキャリアヒストリー井内さん第2部

第1部では、新卒で就職されてから結婚、出産、退職、そして専業主婦時代のお話をうかがいました。第2部はいよいよ再就職へ!そして支えてくれたご家族のお話です。

(品川区の再就職セミナーに参加した井内さん。セミナー終了後に講師を囲むランチ会に参加されて…)
~講師の先生とのランチ会で何が!?~
 先生の真ん前の席が空いていたんです。私は思い切ってそこに座り、ここでもまた自分の愚痴を。「私の妹はキャリアウーマンでバリバリ働いていて、子育ては母に任せきり。私といえば専業主婦でずっと一人で頑張って子育てしてきた。私だって頑張ってきたのに…専業主婦って報われない、バカにされているようで悔しい。」と。
 すると先生は「それで?あなたはどうしたいわけ?妹さんに仕事を辞めさせたいの?それとも、お母さんが妹さんを手伝うのを止めさせたいのかしら?」とクールに切り返し、さらに「あのね、過去と他人は変えられない。変えられるのは自分だけですよ。」とピシリと言いました。
 ものすごくショックで悔しかったです。「先生の主催するスクールのライターコースに通って今の自分の現状をどうしても変えたい、先生を見返したい」という強い思いに火がつきました。
~それはさぞかしモチベーションがアップしたでしょうね~
 はい。そのライタースクールの授業料が年間30万円くらいで、今まではそういう習い事のお金は全て夫頼みでしたが、今回だけはどうしても自分の稼いだお金で通いたいと思い、その時点で7月、スクールが翌年の4月開校だったので、この8ヶ月で稼ごうと。なんとか仕事を探したい、それも今後の仕事につながるような仕事を、と思い、なりふり構わず21世紀職業財団の再就職カウンセリングに行きました。キャリアの棚卸しをして「自分がやってきたこと。自分にできること」を洗い出し、履歴書・職務経歴書の書き方の指導も受けました。「一番良くないのはキャリアに空白があること」と言われ、今まで活動してきた広報誌の作成や英語のボランティア等も盛り込みました。また、その年の初めに取っていたパソコンの資格以外に、急きょ猛勉強して英検の準1級を取り、それも履歴書に書けるようにしました。
 本気で仕事を探す気になると、小さなプライドを捨てて、今までとは違った「仕事を探している、と周りのママ友達に公言できる自分」になっていました。それが次のステップへの歯車を回した感があります。

~ジャパンタイムズに就職されたきっかけは?~
一緒に小学校で英語のボランティアをやっていたママ友が「こんなアルバイトの募集があったよ。」と、ジャパンタイムズの求人広告の切抜きを持ってきてくれたんです。私自身はどこに応募しようか模索中だったのですが直感で「これだ!」って思いました。締め切り直前だったのですが、すぐに履歴書と職務経歴書を書き、郵送だと間に合わないので、会社まで自分で持参しました。履歴書には新卒時の仕事のほか、品川区の広報誌の編集委員や小学校の英語のボランティア活動等も盛り込み、職務経歴書には「ぜひ働きたい」という気持ちを書きました。
面接では外国人3人日本人3人に囲まれ、英語での自己紹介などをしました。“とにかく何かしゃべらなくちゃ”と必死でした。「最近のカルチャー・イベントで心に残ったことは?」と聞かれ、そんなこと聞かれても子育てに追われる毎日の中で適当なものが思い浮かばず「(英語で)えっと、小学校の学芸会です、でもドイツにいた頃はコンサートにもよく行っていました。」と、苦し紛れに答えたのを覚えています。「あなたはこれから5年間でどのようなことを達成したいですか?」という質問もありました。これには「英語でも日本語でも書けるようなライターになりたいです。」と答えました。
そしてなんとその日の夜採用の連絡が来たのです。「やった!これでライタースクールの授業料が払える!」と思いました。
そしてその後約3年間、ライタースクールとジャパンタイムズ、二束のわらじの日々が続きました。仕事は週3日、11時から7時まで。その頃子ども達は中2、小5、小3でした。

~お仕事を始めるにはちょうど良いタイミングだったのでは?~
 はい、今思えばベストタイミングでした。中学生の長男は部活や塾通いで忙しくてあてにならなかったけれど、小学生が二人いたので、学校から帰ったあとは二人で留守番ができて安心でした。「ばんごはんノート」を作って、私が出勤前に作っておいたものを先に食べておけるように書いておきました。食事の配膳はもちろん、サラダを作る、味噌汁の味噌を溶く、など簡単なことは頼めるようになりました。電子レンジの使い方も教えました。次男が中学校に入ってからは三男が小学校から帰ってひとりぼっちだったので(最近の小学生は塾通いで遊べる子も少ないですし)、ちょっと心配でしたが三男が中学校に入って部活動等を始めてホッとしました。振り返ってみると、男の子三人、再就職するまでは本当に大変な子育てでしたが、ある程度成長してから仕事を再開して家を空けるようになってからは、三人兄弟がいて良かったと思いました。

~理想のご家族のように見えますね。~
 いえいえ、そうは言ってもやはり、私が働き始めてから子ども達や夫が協力する体制が整うには時間がかかりました。家族は当初、私が働いていることについて「好きで働いているんでしょ」とか「働くのは趣味で、内容的にもお金的にも大したことではない」などと思っていたようで、そんな雰囲気に私は一人で怒っていたこともありました。そして、そんな思いが募ったある日、忘れもしない“母の日事件”が起きました。
 
~“母の日事件”?!何ですか、それ?~
それは働き始めて2年目の母の日でした。母の日なんて、小学校低学年までは幼稚園や学校がそれらしいプレゼントを企画してくれたりするんですが、そんな時代が終わって久しく、我が家では誰も意識することなく過ごしていました。当時、働き始めてしばらく経ち、私としてはいわゆる仕事と家庭の両立のためにかなり無理をしていたんでしょうね。できるだけ母の務めを果たそうとするわけですが、朝から長男のお弁当を作り、夕食の支度をしてノートに息子達への伝言を書いてから出勤し、頭の中では絶えず一週間分の献立や買物リストがぐるぐる回っているような生活はなかなか疲れます。なので、母の日ぐらいはそういう負担から解放されるとか、せめて「いつもありがとう」って言ってくれるとか、なんだか淡い期待をしてしまったんですね。でも、家族はその日曜日が母の日だということにすら気づいていなかったんです。たまたま出かける用事もあったのですが、帰ってきたらいつも通りの我が家でキッチンに立ち、大急ぎで夕飯の支度をしていたら、なんだか涙が溢れてきて止まらなくなり、食事の最中に感情が爆発してしまいました。家族から見れば、突然のことに「お母さんなんで怒ってるの?」という感じでしたが、大声で泣き叫んで家から飛び出したりした私に、さすがにこれはまずいと思ったのか、夫は息子達3人を並べて座らせ、「家族会議を開こう」と提案しました。そして、次の週に家事の分担表というものを作ったのです。
 分担のルールは、平日の皿洗いは子ども達で順番、週末は夫。洗濯は部活でたくさん汚した子がその日の夜皆の分もまとめて洗う。我が家は一日に3回ぐらい洗濯機を回さなければならないほど量が多いので、干すのは皿洗い当番以外の人全員でやります。ゴミ捨ては夫と私が中心。買い物は私。でも簡単なおつかいは時々子ども達に。
 家事は一人でやるとイヤになりますが、皆でやるとそれほど大変でもなく、子ども達も慣れればできるようになりました。
~ご主人が家族会議を提案してくれたところが素晴らしいですね!~
-続く-

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